熊本城熊本城◆熊本城の石垣◆ 熊本城は姫路城、名古屋城と共に日本三名城に数えられています。三名城っていうなら大阪城が入るのかななんて思っていました。 熊本城は、豊臣秀吉による朝鮮征伐の虎退治伝説で有名な加藤清正によって1607年に築城されました。意外にも徳川の時代にあんなりっぱなお城が築かれたのですね。築城が1601年なので、江戸幕府の始まる2年前です。関ヶ原の合戦の功績者ということもあったから、あんな立派なお城を建てることができたのでしょう。 加藤清正公の像。城外にあります。 熊本限定キティちゃんは鎧かぶとを着て、虎に乗っています。「加藤清正キティ」? 熊本城は西南の役で一度炎上しましたが、1960年に再建されました。しかし、江戸時代から残る門や敷地内にある五輪の塔など、古い遺物も多く見られます。門など、小難しい名前が付いたものが多く、覚えられません…。なんだか、かなり有名なものもあるらしいのだけど、見つけられませんでした。 場内に残る五輪の塔。 そして有名なのがもうひとつ。それは「武者返し」と呼ばれる熊本城の石垣です。これは攻めてきた敵でも登るのが容易ではないでしょう。「SASUKE」の覇者でも絶対無理です。←当たり前? あまりゴツゴツした感じはしません。 天守閣に上るときの坂道も素敵でした。 国内の観光客に加え、韓国、台湾からのお客さんで賑わっていました。韓国の人はどんな気持ちでこの城を見るのでしょうか。気になります。そういえば、熊本では朝鮮飴というやわらかい飴が名物です。朝鮮征伐のときに誰かが持ち帰って広まったのでしょうか。 ◆黒い城◆ 熊本城は「黒い城」と呼ばれているそうです。写真を見てみると、確かに黒いんです。姫路城なんかは白壁が美しいけど、熊本城の外側は黒く見えます。今回の来城ではもっと注意して見ました。 正面から見た天守閣。 さて、この天守閣ですが、標高50メートルに立ち、大小2つの天守閣から成ります。大天主は外観3層、内部が6層になっています。かつては戦向きの城だったようですが、現在は内部は博物館となっており、築城の歴史、当時城内で使われていた道具、参勤交代の際に乗られた船の模型、西南戦争に関する資料が展示されています。 天守閣の最上階は展望台となっており、よく晴れた日は東に阿蘇山を臨むことができます。西側には金峰山が見えます。金峰山といえば五百羅漢像と雲巌洞(宮本武蔵が晩年を過ごした場所)があるところです。そして、その手前にはお寺の多い地域があります。天守閣と同じ高さの場所には、熊本城を築城した加藤清正公のお墓があります。天守閣と同じ高さにお墓を作ることが清正の遺言だったといいます。そのお寺には車で上まで行けるのだそうですが、500段の石段を登ることもできるのだそうです。 宇土櫓から見た熊本城の背面。 ◆宇土櫓◆ 熊本城の天守閣の西北に、国重要文化財に指定されている宇土櫓(うとやぐら)があります。1877年の西南の役時に天守閣は焼失、1960年に熊本市によって再建されましたが、この宇土櫓だけは強風の風向きにより、焼失を逃れて400年前のそのままの姿で残っています。 宇土櫓の正面。 宇土櫓は、3層5階地下1階の造りになっていて、当時は戦を控えた武士たちがそこで出陣の待機をしたり、倉庫として利用されていたとのことです。今でも内部を見学することができます。明かりもほとんどなく、薄暗いのですがまたその雰囲気が素敵です。階段も当時のままなので、狭いし急だし、昔の人はあんな着物を着ていて昇り降りしていたのに、よくこけなかったものです。 内部の様子。廊下を歩くと、キシキシ音がします。 この宇土櫓は天守閣と築城期が異なるとされ、小西行長の居城であった宇土城を加藤清正が移築したとの説があり、それがそのまま呼び名となっています。しかし、近年の解体修理の結果、元々この場所に建てられたという説のほうが有力のようです。 前回の「黒い城」にも写真を載せましたが、ここから見る熊本城の天守閣の姿は美しいです。私は天守閣よりもこちらの宇土櫓のほうが好きです。 加藤神社から見た宇土櫓は絶景! 熊本城をもっと知ろう!→熊本城公式ホームページ ライブ映像も見られます→熊本城 ジャンル別一覧
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